「落語と節談説教のつどい」、面白かった。
前回ブログの「探偵ナイトスクープ収録」の次の日の4月23日(土)、「落語と節談説教のつどい」に行って来た。メインタイトルは「ほとけの道も笑いから」。なかなかいいねぇ、このタイトル。場所は京都本願寺聞法(もんぽう)会館。それはそれは立派な建物でした。学校の体育館もあろうかという広さです。人も一杯だった。この催しは朝日新聞が主催、浄土真宗本願寺派が後援していた。プログラムは最初に二人の住職さんがお話(これがお説教と言うようだ)をして、最後に桂雀々の落語を聴くというもの。
最初の住職はどこにでも居られるような「お坊さん」で、我々が生活する中で発生する事象を面白おかしく聞かせてくれた。
二人目も住職でありかつ大学教授でもある「お坊さん」。スーツ姿なので「お坊さん」には見えなくて先生って感じで登場。話は「落語」と「お説教」はつながりが有るという面白い話。僧は民衆に仏教を広めるために、聞く人々に仏法を説く。それが「お説教」であるのだが、難しい話ばかりすると人は興味を無くしてしまい聞いてくれなくなる。そこでまず面白い話で盛り上げておいてそして仏法を説いていく。この面白い話の部分が膨らみ独立して出来たのが「落語」らしい。「落語」の演目でも仏教がらみのネタ(野崎詣り、三年目等々)は多く現在でも各高座で演じられている。いい話聞けて満足でした。そして休憩を挟んで、最後に目当ての桂雀々の登場。
演目は「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」。この話は私は桂米朝が演じた落語しか聴いてなかったが、桂雀々もなかなかよかった。内容は死んだ後に冥途へ旅する話。真剣に考えたらばかばかしい話でしょうが、これがほんまに笑える。約1時間の大作だが、あっと言う間にエンディングのオチまで行ってしまう感じだった。落語って、話の内容は聴く側は既に解かっているのだが、なぜか何回同じ話を聞いても同じ場所で笑い最後のオチで最高の気分になれる。ほんまに「落語」って不思議なものだ。演じる人達もその時代の旬の出来事や流行に敏感でなければだめで、時節ネタをふんだんにその演目の中に取り入れている。どうその話をリフォームするかは落語家のセンスであり、いい悪いはそれを聞いている観客の反応ですぐ解かる。そういう面で「落語」はその時代、時代で変化し続けて行くものなのでしょう。「古典(落語)」とは本来そういうものなのかもしれません。また「落語」が面白いと感じた一日でした。これは一私見ですが、ひょっとしたら今の日本に一番必要なのは「笑い」かも知れないなと思いました。では、この辺で。
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